「糸悸折々、色織々の七十二候」第三十七候 涼風至(すずかぜいたる)
涼風至(すずかぜいたる)
おはようございます。
昨日から二十四節気では立秋、旧暦7月(文月)は初秋と、
まだまだ厳しい残暑が続きますが、暦の上では秋のはじまりを
告げています。
今や亜熱帯のような日本の夏になる前は、ちらほらと
秋の気配を感じることが出来る月だったんでしょうね。
本来の七夕はこの時期で、古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や
「棚幡」と表記しました。元来七夕とはお盆行事の一環でもあり、
精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で
「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったと言われています。
新暦8月が「七夕月」、「七夜月」と呼ばれる所以ですね。
昨日は朝からサウナのような倉庫を整理して、昼からお出かけ。
まずは肥後橋の The Third Gallery Aya さんにて
三田村陽さんによる写真の展示、hiroshima element 。
仲良くして頂いている写真家、小檜山貴裕氏( http://noboka.net )に
お勧め頂きギャラり(ギャラリーに行くの意)。
自分の中では見る前から頭の中で、広島と言う都市が内包する
広島ーヒロシマーHIROSHIMAーひろしまと言うそれぞれのイメージ、
それを取り去りフラットに焼き付けられた写真を想像していました。
まさしく写真集のあとがきにも僕が思っていたことと近いことが
書いてあり、またしかしながら自分自身が写真を見る際に自分が持つ
歴史の生き証人である「被爆者」のかたや、自分が好きな映画
「仁義なき戦い」などのパブリックなイメージを抱いて写真を
見てしまっていることに気付きます。
見続けているうちに三田村さんの写真は、そう言った広島と言う都市に
自分自身が持っているイメージを削ぎ落とし、都市を構成する街並、
市井の人々、訪れる人々と言う点と点が結びつき、広島と言う都市が
息づき生き続けている様を提示してくれます。
そして改めて、そう言ったフラットに活写された対象の中にも
ヒロシマの記憶を紡ぎ続ける古い街並と現在の都市が共存し、
連続した時間の中にあることを気付かされることで、
その時代を生き抜いていない自分自身もその歴史や記憶に触れ
現代を生きる必要性を改めて感じました。
観に行って良かったです、コヒさん、ありがとう!
写真を観た後は天六へ。ギャラリー hitoto さんにて第8回協同企画展 おんさの
平面の展示と交流会 hitoto バー。
交流会オープン少し過ぎての到着でしたが、皆さんの作品も無事拝見させて頂き、
熱気溢れる会場で美味しい料理とお酒と皆さんとの愉しい会話に酔いしれる。
ONSA 動画も無事撮れて、ビルで半分に切れながら淀川の花火も観れ満足、
hitoto の皆さま、ご一緒した皆さま、ありがとうございました!
と言うことで中々涼しい風は吹きませんが、Pelican のターコイズの
青空と RECYCLED COTTON 100 のサラシ雲で夏から秋へ移り変わる
行き会いの空を、奈良県三郷町で作られたミサトっ子の草履とビー玉で
涼しさをイメージ。
前回に続いてカンバスはたらい、これがホントのたらい回し(笑)。
昨日の夜の帰り道奈良に帰って感じた風は、叔母が昼間に撒いた打ち水が
アスファルトの上で乾く匂いのフラッシュバックのように、
鼻腔からおでこの辺りを撫でるように。
筆の遅い僕は朝からパソコンの前に向かっていますが、
9:00AM過ぎまで寝ていた奥さんには涼風が至ってたんでしょうね(笑)。